不登校児の親やってました!⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

娘の不登校 リストカット 息子のADHD 親の気持ち

娘と一緒にニートになったおもちの生態

こんにちは。おもちです!⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

今回は私おもちの生態についてお話します(笑)

今 何してるの?

と聞かれても ニートです!( ˙꒳​˙ )キリッ

って答えます(笑)

 

【おもちの1日】

基本 おもちは何もしません!😁

病気ではありません。

精神疾患もありません。(多分)

なぜならニートだから👍

(↑意味不明)

 

主な生息地は

寝室のベッドとリビングの自分のイス。

朝は起きたい時に起きて ぼーっとしてる。

携帯見てYouTube見て気づいたらお昼...

ご飯食べて お昼寝して夕方になると

リビングに降りてくる

晩ご飯はちゃんと作る!

むしろ それしかしてない😅

 

(うわぁ〜それでも母親?嫁?)

と思った方 あなたは正しい!

私もそう思うから(笑)

 

これでもニートになる前は それなりに普通の主婦。

掃除 洗濯 食事 仕事 子供達の世話

一般的な世の中のお母さん達がしている

家事 育児 仕事に追われる日々。

昔から変わってる人とか得体の知れない人とか

言われてはいたけど(実はかなり人見知り)

ここまでダメ人間ではなかったと思う。

 

自分でも ダメだな〜って思う事も多いけど

明るいニート目指そうと思ってる(笑)

(↑この時点でダメ人間w)

 

【おもちがニートになった理由】

ズバリ!娘の不登校が原因でした。

それまでは営業職をしてたので時間の融通が効く

昼間家に帰って娘の様子みて家事をして仕事に戻る生活してたけど 旦那さんに

「娘が心配だから仕事辞めて家に居てくれ」

と言われ泣く泣く退職...辞めたくなかった。

 

家に居ても部屋から出てこない娘。

たまに出てきてもわがままいっぱい!

仕事よりストレス溜まった。

娘がやりたい事行きたい場所には

とことん付き合って振り回された。

時には娘に無視される事も拒否される事もあった。

何もかも どーでもいい!と思う事も多かった。

 

でも付かず離れず 毎日一緒に居ると

次第に娘の態度も変わってきて

私がリビングで寝転がってテレビを見ていると

一緒に寝転んで 私の服の中に頭を突っ込んでくる

という不思議な行動をとるようになった(笑)

 

娘は徐々に外に出れるようになり

学校へ行けるようになり

夢を見つけ 楽しみを見つけ

私をニートの世界に置去りにしやがった(笑)

 

私はまだ仕事もせず 家事もせず

ニートを満喫している( ˙꒳​˙ )キリッ

 

【なぜ働きに出ないのか】

ん〜 一言で言うなら 面倒臭い!

 

理由は割とちゃんと(?)あって

 

仕事をやめろ言った旦那さんが1ヶ月後

「いつになったら働くの?」

って言ってきた...

料理中だったから刺してやろうかと思ったくらい

腹が立った。自分が辞めてくれって言ったのにって

その件で 意地でも働いてやらねー!

ってのが1つ

(↑結構根に持つタイプ)

 

先にニートから脱出した娘。

でもまだ完全体ではない。

朝もダラダラして送ってー

帰りも駅まで迎えに来てー

時間なんて関係ない。

オマケに下の息子まで真似して

「おもち!今日学校送って帰り何時だから!」

まるで私を無料送迎バスのように扱う。

断ると 学校やバイトを休んだり

不機嫌で当たり散らしたり部屋に閉じこもったり...

だから 仕方なく嫌々こき使われてるw

これが2つめ

 

3つ目は実家のじいちゃん(私の父親)

母が亡くなり犬2匹と暮らしている

一昨年癌が見つかり手術してから

体力も筋力もガタンと落ちて杖がないと歩けない

長時間の病院は車椅子で行く。

車の免許も持ってないため

週に2回くらい買物に連れていき歩く練習。

病院に付き添い 支払いや色んな手続きの代行。

私には兄が2人居るけど ノータッチ。

私が1人で世話やいてる。

なので時間に縛られて働くのがひたすら面倒臭い!

(↑世の中の兼業主婦さんごめんなさい)

 

過去には全てちゃんと頑張ろう!

と思ってた時期もあるけど...

しんどくなっちゃったんだよ‪𐤔𐤔‬

だから私は

頑張ることをやめた!

ニートおもち爆誕!⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

 

【おもちの過去って?】

誰も興味ないかも知れないけど...

ちょっと振り返って書いてみようかな?

言っとくけど おもちはダメ人間て前提で

生暖かい目で呼んでね😁

 

おもちの最終学歴は 中学校

この頃からニートの素質あったのかも(笑)

18歳で妊娠 当時別れたばかりの彼とよりを戻して結婚

親と同居してたけど この彼(元旦那)は最低のクズ人間

働かない。結婚前からの女性と切れず浮気。

感情の起伏が激しく妊娠中の私にも暴力。

子供が生まれて一月後に働きに出ろ!と言われ

給料はパチスロで全部持ってかれた。

結婚して1年も経たずに長男を連れて離婚。

 

長男を自分の母に預け 朝晩働くが

面倒を見てもらってる母に毎月7万円払うように言われ

中々お金が貯まらない...

(おもちの母もダメ人間w)

その頃知り合った今の旦那さんと

私が22歳 長男が3歳になる前に再婚。

旦那さんの実家はうちとは違ってまともなお家。

周りから散々言われたなぁ〜😅

その後 旦那さんの子供を2人立て続けに流産したが

娘と息子を年子で授かった。

 

親戚の中で私と長男は風当たりが強かったが

何とか認めてもらおうと

それなりに頑張った。

 

旦那さんは長男の父親になろうと頑張ってくれたが

自分の娘が生まれて一転...

娘命 で長男とは折合いが悪くなる...

「俺は娘と息子が可愛い。家は娘か息子は継いで欲しい。長男はいずれ家を出ていくから厳しくしている。」

と私に直接言っちゃう...

良くも悪くもバカ正直なひと。

 

下の息子が中2の頃

旦那さんとの子供ができた。

旦那さんは

「経済的にも年齢的にも無理だ。おろしてくれ。」

と...

私の過去一番の罪...中絶...

泣きまくった。旦那さんに罵声を浴びせ罵り

全て旦那さんのせいにして結局 中絶に同意した。

 

この頃から旦那さんに対する不信感が溢れ出てきた。

助けて欲しい時に頼りにならないならもう頼らない!

 

そして この不信感が爆発したのが

1週間 家出事件!

いつも私にお説教してくる親戚に

子供の目の前で責められている私。

さすがに子供達が止めに入ったが

旦那さんは何も言わない...

長年 我慢してきたが 親戚に怒鳴り散らし

そのまま徒歩で逃走。

翌日車を取りに行き

1週間 車中泊で帰らず連絡も一切絶った。

月末に支払いのため

家に通帳を取りに行った時に旦那さんに捕獲された。

 

離婚も考えたが 

「居てくれるだけでいいから!」

と初めて私の前で泣いた旦那さんを見て

離婚は思い留まり

家事も家計の管理も全て旦那さんに丸投げした。

 

旦那さんと折合いが悪かった長男は

色々あったが自分から 養子縁組離縁届 を出し

名前を変えて一人暮らしを始めた。

私は今でも一緒にご飯を食べに行ったりしている。

長男の話は 長くなるので

また機会があったら書こうと思う。

 

 

ざっと書いてみたけど...

別に不幸自慢してる訳でもないし

大変だったけど自分が不幸だとも思ってない。

 

旦那さんの悪口みたいになっちゃったけど

決して仲が悪い訳でもない。

 

ただ ちょっと疲れたから

頑張らないと決めた。

自分がダメ人間だと自覚してるから

後悔がないと言ったら嘘だけど

それでも 「まぁいっか!」

と受け入れるしかない。

 

子供達にも

「私はダメ人間だから‪𐤔𐤔‬」

と笑って言う。

下の2人は

「それがおもちでしょ‪𐤔𐤔‬」

 「面白いからいいじゃん‪𐤔𐤔‬」

と笑ってる。

長男には

「もっと危機感もって足元みたら?」

と叱られる😅

 

 

ぐーたらでダメダメな おもちだけど

今日ものびのび明るいニートしてます。😁

ADHDの息子《不登校〜高校進学》

こんにちは。おもちです。⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

現在 通信制高校の3年生の息子

週に2回 4時間ほど学校に通っている。

 

不登校

中学生になって友達とのトラブルも減ったが

学習面においては周りについていけず

宿題もやったりやらなかったり。

担任の先生にはADHDについて話はしてあったが

あまり理解はされていなかった。

 

息子の特徴として 読み書きが苦手で

字を書くのに物凄く時間がかかる。

私達が見知らぬ外国語をお手本を見ながら

線を一本ずつ書き写しているような感覚。

当然 ノート2ページの宿題なんて

集中力が切れて完成しない。

 

息子は体格が良く地声も大きい

良くも悪くも目立つ存在。

勉強や生活態度で注意される事は日常的だった。

 

しかし正義感が強く 友達想いで優しい息子。

理解者も多く人望もあった。

部活は運動部だったが チームを引っ張るリーダー

3年生ではチームメイトの推薦で

キャプテンになった。

 

中学2年生の頃から度々学校を休むようになったが

当時 不登校の姉がいたので

息子にだけ休むなとも言えず黙認していた。

 

理由は 「嫌いな授業がある」「嫌いな先生がいる」

というものだった。

学校の先生と合わなかったのだ。

何か問題があったら自分だけが悪いように扱われる

意見があっても話を遮られ聞いて貰えない。

これじゃぁ 学校を嫌いになっても仕方がない。

 

じゃあ その授業だけ出なければいい

という問題でもない。

息子には自分ルールがあり

登校する時は遅刻しない!

遅刻しそうなら休む!

これが やっかいだった。

 

本人は部活には行きたい 友達にも会いたい

だけど授業は受けたくない

学校は休むがイライラがおさまらない。

毎日ダラダラ過ごし ストレスを溜めていた。

結局 学校には ほとんど行かなかった。

 

そんな中 部活の顧問の先生がとても親身になってくれた。

息子の言い分をしっかり聞き

その上で今後どうしたいのか どうしたらいいのか

真剣に話し合ってくれた。

チームメイトも毎日のように

心配して放課後 家に来てくれた。

 

息子は部活をするために学校へ行くようになった。

 

【高校進学】

夏の中体連が終わり 部活を引退した後

また学校へ行く目的を失ってしまった。

 

周りは受験に向けて勉強や塾に力が入っていく。

友達とも高校の話ばかり。

息子は 勉強が苦手で成績も悪く欠席も多い。

「オレが行ける高校あるのかなぁ」

って心配してた。進学したい気持ちはあるらしい。

 

とりあえず 一番行けそうな高校を選び受験してみる。

その間 進学を目指すなら なるべく学校を休まない

受験勉強を頑張る

と約束した。

 

合格発表の日 同じ中学の友達5人と

自分の番号を確認しに行く

結果 不合格...

友達5人は受かってた。

息子は「やっぱりオレだけ落ちた‪𐤔𐤔‬」

と笑いながら車に乗り込み無言になった。

 

私と息子はその足で中学校へ行き

次の受験先をどうするか話し合った。

息子は「多分普通に受験しても受からない。定時制にしようと思ってる。」

と言い出した。

定時制には息子の友達(5つ年上)が通っているらしい。

先生と相談して見学を申し込んだ。

 

見学には旦那さんもついてきた。

3人で校舎を案内され授業風景も見せてもらった。

クラスには息子の友達もいて

「おおー!息子ー!来たか‪𐤔𐤔‬」

と声をかけてくれた。

息子は交友関係が広く

年上にも年下にも友達がいる

相談にも乗ってくれてたみたいだ。

 

息子は定時制を受けると言ってはいたが

通う時間帯や4年間 仕事をしながら通いきれるか

途中で辞めてしまわないか心配で迷っている。

 

学校で進路相談の帰り

息子の携帯がなって しばらく話してた。

定時制に通ってる友達のお母さんからだった。

「息子くんは私立は考えてないの?」

通信制の昼間通える学校は?」

「仕事しながら夜学校って思ってるよりきついよ?」

「もっと選択肢はあるはずだから定時制は最終手段に残しときな!」

って。まるで我が子のように心配して色々とアドバイスしてくれたらしい。

 

私も同じ事を思っていた。

(↑友達のお母さんに先越される(^_^;))

息子に

「お姉ちゃんと同じ学校はいや?」

と聞いてみたら

「私立はお金がかかる。オレまで私立に行ったら親に迷惑かけると思って公立ばかり探してた。」

と言った。

 

情けなかった。

 

確かにおもち家にはお金が無い。

だけど子供にこんな心配かけてるなんて...

私は旦那さんにこの話をした。

初めは「私立2人はなぁ〜」

と渋ってはいたが 何とか説得して了解をもらえた。

 

私は早速 息子を連れて学校見学に向かった。

娘が通っているので先生とも顔見知りだ。

先生は学校に行かない理由や

この学校で何がしたいかなど息子に聞いた。

息子は

「学校はオレの話を聞いてくれなかったから行かなかった」

「この学校で勉強をやり直したい」

そう はっきりと答えた。

 

勿論 ADHD発達障害についても先生に話した。

先生は

「やる気があるなら是非うちの学校に来てください。この学校の先生は出来ない事をやれとは言いません!出来ることをしっかりやりましょう!」

と言ってくれた。

 

息子は

「オレこの学校に来たい!この先生なら大丈夫な気がする!」

と とても嬉しそうだった。

 

それから受験の終わった友達に勉強を教えてもらったり

部活顧問の先生に面接の練習してもらったりしながら

お姉ちゃんと同じ学校を受験した。

手続きすれば入れる学校だけど

息子なりに頑張ってたと思う。

 

高校生になってからも たまには休んでたけど

ちゃんと単位を落とさないように計算してた(笑)

 

担任の先生と合う合わないというのはあったけど

何とか3年間通い 卒業が見えてきた。

卒業後はお父さんの仕事を手伝う方向で

進路は決まっている。

 

 

 

 

いつも思う事だが

本当に沢山の人に支えられて今があるんだなぁ〜

 

小さい頃から問題児扱いされてた息子だが

背中を押してくれる仲間や

我が子のように心配してくれる大人達

みんな息子の人柄を慕ってくれている。

 

本当にありがたい事だと思う。

 

息子も成長したなぁー

 

私のようにダメダメな親の元でも

素直で優しい子に育ってくれた。

ありがとう!

 

これからも息子の人生

応援し続けていきたい

 

ADHDの息子《診断〜治療を止めるまで》

こんにちは。おもちです。⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

前回からの続きです。

 

あくまでも 私の体験と主観ですので

不快に思う方がいるかもしれません。

その時は そっとスルーしてください。

 

【息子がADHDとわかって】

《子供相談センター》では子供にいくつかの質問や問題を出され IQチェックのようなものをした。

それをもとに 得意分野と苦手分野がわかるらしい。

 

もう結果内容は忘れてしまったが

学習面において 親子共々困っている事

小さい頃から落ち着きがなく発達障害を疑われてたこと

などを話し 専門医を紹介してもらう事になった。

 

病院は3ヶ月待ち...

その間に5年生に進級した。

勿論 宿題は殆どできていない。

 

実は予約を待っている3ヶ月の間に

他のクリニックへ行き診断を受けていた。

だが 何となくクリニックの先生と合わない...

淡々と幼少期からの様子を2~3年分聴き取り

これを月に2回ほど行う。

何のために通ってるのか よく分からない。

そして聴き取りが全部終わると

「お子さんは発達障害ADHDですね」

で診察おわり。

その後のことは何も言われない。

自分から聞こうにも知識もなく

何を聞いていいのかもわからない。

「まだ通われますか?」

って聞かれて 結構ですって断ってしまった。

 

ようやく予約していた病院に行った時

待合室には小さな子が何人かいて

息子の時と同じようにじっとしていられない子供を

大変そうにお母さんがついて回ってた。

 

診察室には息子と一緒に入った。

私は(また同じような事聞かれるのかなぁ)

と思いながらも

学校でのこと 他で診断を受けたことを

全て話した。

この時 息子にはまだ

診断を受けたことなどについては話してなかった。

どう話せばいいのか分からなかったからだ。

 

先生は私にではなく息子に

脳の仕組みと発達障害について

わかりやすく説明してくれた。

そして

ADHDは脳の病気であって

   決してお母さんの躾の問題でも

   息子くんが怠けてるわけでもありません」

と言ってくれた。

 

息子は病気だったんだ

私のせいではなかった!

と心底ほっとしたのを覚えてる。

 

そしてみんな性格がそれぞれ違うように

この子達の病気にもそれぞれ 個性 がある。

ADHDは幼少期が一番大変かもしれないけど

お母さん良く頑張りましたね

大体 中学生〜高校生くらいになると

落ち着いてくると思いますよ

と言われた。

話を聞きながら泣きそうになりながらも

息子の前では必死にこらえた。

 

その後 ADHDに対しての対処法や

薬で症状を改善出来るとこなど

しっかりと説明してくれた。

 

【治療をやめた理由】

ADHDと診断されてから

コンサータ》という薬を処方された。

 

薬を飲むと 集中力が増して

人の話がしっかり聞ける。

しかし副作用で食欲が減退する。

 

私は毎朝 息子に薬を飲ませ

学校に送り出した。

その頃の担任の先生にも

診断を受けたこと 薬を飲みだしたことを話し

理解を得ていた。

学校の先生が言うには

「最近 授業中でも集中してしっかりお話が聞けます」

「お話を聞いているので自分の意見を言うこともできます」

「見違えるように授業に参加しています」

との事だった。

私は嬉しかった。

 

だか あんなに元気いっぱいだった息子が

あまり笑わなくなった。

それでも 私は学校から小言を言われなくなり

開放感さえ覚えていた。

 

ある日 学校から電話があり

生活態度について注意をされた。

息子に話を聞いてみると

薬は飲むフリをして捨てていたらしい。

「せっかく落ち着いて授業が受けられるようになったのに なぜそんな事をするのか」

と聞くと

「給食がおかわりできない」

と泣き出した。

息子は食べることが大好き

給食はいつもおかわりしていた。

それが薬の副作用で食欲が減退し

食べたくても食べられないのだ。

 

息子は

「オレの頭が壊れてるから!」

と自分の頭を叩き出した。

診断を受けてから

自分は病気なんだ 人とは違うんだ

という不安を抱えていた息子

私はそれを わかってあげれてなかった。

自分の頭をガンガン叩いている息子の両手をつかみ

「違うよ!息子くんは壊れてなんかない!」

「ごめんね!母さんが悪かった!」

と抱きしめた。

 

私は自分が躾も出来ないダメ親という

世間の目から逃れて安心するために

病気のせいにして

薬で我が子を大人しくさせていたのかもしれない。

 

実際 薬を飲み出してからの息子は

表情も暗く 元気もない

毎日 外で遊びまわってたのに

家でぼーっとする事が増えていた。

 

息子から息子らしさが消えていた

 

息子に

「薬飲むの嫌?」

と聞くと

「薬はご飯食べれなくなるから嫌だ

   でも飲まないと先生もお母さんも困る」

と答えた。

胸が苦しかった。

 

私は

「飲みたくなかったら もうお薬やめよう」

と言い 病院の先生にも伝え 投薬を中止した。

 

本来なら もっと小さい頃から診断を受け

専門家の指示を仰ぎ

その子にあった療育をするべきなのだろう。

しかし 自分の子が発達障害だと

認めたくない気持ちから それらをしてこなかった。

そのせいで息子も辛い想いをしてきたのかもしれない。

将来の事を考えたら 投薬を続け

しっかり授業を受けられる環境を

作ってやるのが親の務めかもしれない。

 

だけど息子が辛いなら全部やめよう。

ご飯が食べれないだけで薬をやめるの?

と言われるかもしれないけど

自分を壊れたロボットのように言う息子は見たくない

いつもみたいに元気いっぱい笑ってて欲しい

 

病院でADHDに対する対処法も聞いたけど

どれも今まで私がやってきたことと同じような事

薬や病院に通うことをやめたからといって

今までわたしが言い聞かせてきたことが

変わることはない。

これからも言い続けるだろう。

 

息子が元気ならそれでいいや!

 

そう思えてからは 本当に心が軽くなった。

息子にも笑顔が戻ってきた。

 

勿論 学習面では苦労したが

やらない訳ではなく

やっても出来ないこと

息子なりに頑張ってることを

学校側にも理解してもらい

出来たところは褒めてもらう

出来ないことは彼のペースで頑張ると

話し合った。

 

《診断》というものは

私にとっては 躾のせいじゃない

息子にとっては 怠けてるわけじゃない

という事を示すために必要な事だった。

 

しかし私たち親子にとって《治療》は

みんなと同じように

やらなければ

やらせなければ

という考えに囚われすぎて

更に自分たちを追い詰める結果になっていたように思う。

 

 

 

 

きっと診断を受けたことのある親さんは

自分の育児が間違ってるのだろうか

躾も出来ないダメ親なのだろうか

まわりの子と同じようにさせなければいけない

など自分を責め 時には子供を責めてしまう事も

あったかもしれない。

 

自分の子が発達障害だと認めたくなくて

誰にも相談できずに苦しんでるかもしれない。

 

だけど 今は保育園や学校 病院や行政などが

連携してサポートをしている事が多いと聞く。

1人で抱え込まずに 是非 相談してほしい。

そして子供にとって 親にとって

何が必要で何が大切なのかを考えてみて欲しい。

 

決して投薬や療育を否定している訳では無い

それらを必要としている親子は沢山いる

私たち親子には 合わなかったと言うだけの話

 

 

そしてADHD

子供が怠けてるわけでも

親の躾が悪いわけでもない

ということを もっと知ってほしい。

ADHDの息子《幼少期〜診断を受けるまで》

こんにちは。おもちです。⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

今回は息子のお話

始めに断っておくけど

診断は受けたが治療は途中でやめた(--;)

なので ADHDについても そんなに詳しくはない。

 

【幼少期】

一言でいうなら やんちゃ坊主!

この言葉がぴったり(笑)

いくら言い聞かせても いう事を聞かない

お外大好きなわんぱく息子。

 

保育園では毎日のようにお友達トラブル

周りのママ友からも 息子くんまた何かやったの?

と心配されるほど...

先生にも毎日 怒られてた。

 

きっと保育園では 問題児

として扱われてたと思う。

 

集団行動ができない

友達とのトラブルが多い

じっとしていられない

 

↑これだけ見てもADHDの疑い大(--;)

先生にもママ友にも

病院を勧められたこともある。

だけど私は「やんちゃ坊主」「わんぱく小僧」

どこにでもいる普通の子供だ

と思ってた。

いや思い込んでたのかな?

 

口より先に手が出てしまう息子。

うまく言葉で話せないからだと思うが

そのせいでよくトラブルになってた。

話を聞くと

「お友達がやめてって言ってもやめてくれない」

「嫌なこと言ってくる」

「ぼくのおもちゃ とった」

息子側にもはっきりとした理由があった。

 

私は

「やめて欲しかったらお口でちゃんと言いなさい」

「嫌なこと言われても おもちゃとられても

    先に手を出した方が悪い」

「暴力は絶対にダメなこと!」

その都度言い聞かせていた。

 

私の言い方が合ってるのかわからなかったが

何がいけなかったか

なぜダメなのか

どうすれば良かったかを

言って聞かせるしかなかった。

 

本当に繰り返し繰り返し

同じ事を言い聞かせていた。

 

基本的に人が大好きな息子。

誰とでもすぐに仲良くなれちゃう。

保育園のお迎えの時間

私の知らないお母さんとでも

仲良さそうに話してる。

 

陰で「あの子のお母さんどうゆう人?」

って変な目で見る人もいたが

「息子くん元気いいから‪𐤔𐤔‬」

「息子くんは優しいよね〜」

と息子の良いところを分かってくれる

お母さんたちもいた。

 

こんなにトラブルが多くても

一緒に遊んでくれるお友達もたくさんいた。

 

【小学校】

学校で授業中に立ち歩いて友達にちょっかい出す

友達とケンカになりケガをさせてしまう

息子が問題を起こす度に学校や友達の家に

一緒に謝りに行った。

 

診断を受けたのは小学校4年生になってから。

 

遅すぎると思うでしょ?

私もそう思う。

多分 私自身 認めたくなかったんだろうな...

 

小学校に上がってからは息子の勉強の事で

毎日のように学校からお叱りの電話があり

時には

「みんなと同じようにやらせてください!」

「私は毎日 息子くんと闘ってます!」

「お母さんも闘ってください!」

と言われることもあった。

 

なぜ自分の息子と闘わなきゃいけないの?

みんなと同じようにやらせられない親が悪いの?

と内心思いながらも

みんなと同じようにやらせなきゃ!

出来るまでやらせなきゃ!

と私自身 追い込まれていた。

 

小学2年生で九九が始まる。

計算カードが毎日宿題で出される。

私は息子が間違えずに言えるまで

ご飯も食べさせずにマンツーマンでやらせる。

読み書きが苦手な息子に

宿題の漢字ドリルが終わるまで寝かさない。

今考えると虐待に近かったかもしれない。

 

息子から笑顔が消えていく...

 

夜中に息子が泣きながら寝言で九九を言っている

鉛筆を持つとお腹が痛くなり

トイレから出られなくなる

そんな様子を見て旦那さんに

「お前は子供を追い詰めすぎだ!」

と叱られた。

 

じゃあ追い詰められた私は誰に言えばいいの?

どこに相談すればいいの?

親がしっかりしてないからだってみんなが私を責める!

 

もうノイローゼだったのかもしれない

 

息子が4年生の時

私は思いきって担任の先生に相談してみた。

宿題をやらせても1行書くのに30分かかること

音読させようとしても一文字ずつしか読めないこと

高学年に上がるのに益々勉強についていけなくなる不安

先生は

「だって息子くん元気良すぎるから‪𐤔𐤔‬」

「宿題苦手だしね‪𐤔𐤔‬

    でも授業ではしっかり受け答えできるんですよ!

    話聞いてればだけど‪𐤔𐤔‬」

「ところでお母さんが心配されてるのは発達障害についてですか?」

と笑いながらも真剣に聞いてくれた。

私は 気づいたら 泣きながら話してた。

それから先生が

「心配なら一度相談に行かれてみます?」

って《子供相談センター》というのを紹介された。

 

【息子がADHDとわかって】

《子供相談センター》では子供にいくつかの質問や問題を出され IQチェックのようなものをした。

それをもとに 得意分野と苦手分野がわかるらしい。

 

もう結果内容は忘れてしまったが

学習面において 親子共々困っている事

小さい頃から落ち着きがなく発達障害を疑われてたこと

などを話し 専門医を紹介してもらう事になった。

 

病院は3ヶ月待ち...

その間に5年生に進級した。

勿論 宿題は殆どできていない。

 

実は予約を待っている3ヶ月の間に

他のクリニックへ行き診断を受けていた。

だが 何となくクリニックの先生と合わない...

淡々と幼少期からの様子を2~3年分聴き取り

これを月に2回ほど行う。

何のために通ってるのか よく分からない。

そして聴き取りが全部終わると

「お子さんは発達障害ADHDですね」

で診察おわり。

その後のことは何も言われない。

自分から聞こうにも知識もなく

何を聞いていいのかもわからない。

「まだ通われますか?」

って聞かれて 結構ですって断ってしまった。

 

ようやく予約していた病院に行った時

待合室には小さな子が何人かいて

息子の時と同じようにじっとしていられない子供を

大変そうにお母さんがついて回ってた。

 

診察室には息子と一緒に入った。

私は(また同じような事聞かれるのかなぁ)

と思いながらも

学校のこと 他で診断をうけたことを

全て話した。

この時 息子にはまだ

診断を受けたことなどについて話してなかった。

どう話せばいいのか分からなかったからだ。

 

先生は私にではなく息子に

脳の仕組みと発達障害について

わかりやすく説明してくれた。

そして

ADHDは脳の病気であって決してお母さんの躾の問題ではありません」

と言ってくれた。

 

息子は病気だったんだ

私のせいではなかった!

と心底ほっとしたのを覚えてる。

 

そしてみんな性格がそれぞれ違うように

この子達の病気にもそれぞれ個性がある。

ADHDは幼少期が一番大変かもしれないけど

お母さん良く頑張りましたね

大体 中学生〜高校生くらいになると落ち着いてくると思いますよ

と言われた。

話を聞きながら泣きそうになりながらも

息子の前では必死にこらえた。

 

その後 ADHDに対しての対処法や

薬で症状を改善出来るとこなど

しっかりと説明してくれた。

 

 

 

長くなってしまったので

今回のお話はここまで。

続きは次回👋

 

専門学校進学

こんにちは。おもちです。⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

娘はずっと就職希望でした。

それが今では専門学生(笑)

 

オープンキャンパス

就職希望だった娘は企業説明会などにも行き

「どんな仕事ならできるか」

と考えてました。

しかし中々やりたい事が見つからず

仕事探しも進まない。

 

高3の夏休み 友達にオープンキャンパスに誘われた。

1人で不安だからついてきて欲しいとの事だった。

その子は将来なりたい職業があって

その為に専門学校に行きたいらしい。

何度か一緒に行っている間に

娘は別学科で気になるところがあったみたい。

 

就職するか進学するか

娘は相当 悩んでたらしい。

友達と一緒に気になる学科の

見学にも行ってた。

私は何も知らされてなかった。

 

【進路変更】

夏休みが終わり しばらくたってから

「Mちゃんの行く学校にペットビジネス学科がある」

ってボソッと言った。

 

娘は大の動物好き

小さい頃から やたら動物には詳しくて

家でも ハムスターから始まり

猫 犬 フェレット ウーパールーパー

カブト虫 クワガタ 海水魚 

色々飼ってた。

 

ある日 学校の送迎の途中 私に

「私 専門学校に行きたい。」

「将来 トリマーになりたい。」

と言ってきた。

就職すると思ってた私はビックリはしたが

やっと やりたい事が見つかったか

と内心 嬉しかった。

 

だけど最大の悩みは 

おもち家が貧乏だという事!

急に言われても お金が無い...

だけど せっかくの娘の夢を応援してやりたい。

 

私は娘に

うちにはお金が無い

進学するにしても奨学金を借りなければいけない

奨学金は卒業したら働いて自分で返さなければいけない

それでも行きたい?って聞いた。

娘は

「お金が無いのは知ってるだから言い出せなかった」

「でもこの学校に行きたい」

って。私は

「じゃぁ 自分でお父さんにちゃんと話なさい。」

とだけ言って家に帰った。

 

おもち家では旦那さんがお金の管理をしている。

なので 基本お金の話は旦那さんに相談する。

 

数日たって旦那さんから

「娘ちゃんが専門学校行きたいらしいね」

と言われた。

旦那さんもやはり金銭的な事を悩んだらしいが

私は

「教育ローンや奨学金で何とかならないかな?」

と進学できる方向へ話を進めてみる。

元々 娘ちゃん大好きの旦那さんは

せっかくやりたい事が見つかったなら

と 納得してくれた。

 

ただ 片道2時間近くの距離を

毎日 朝早く起きて通えるのか

手先が不器用な娘が トリマーの資格を取れるのか

新しい環境で人間関係を築けるのか

心配事はいくつもあった。

 

後で娘に聞いた話だと

友達のMちゃんが

「そんなに迷ってるなら1度体験してみたら?」

「親に言ってみてダメならまた考えればいいよ」

と娘の背中を押してくれたらしい。

きっかけをくれたMちゃんに感謝しかない!

 

【私のイライラ】

進路変更してからはバタバタだった。

進学ローンや奨学金の手続き

学校資料の取り寄せ

やる事は沢山あった。

 

それなのに...

娘ときたら なんでも人任せ。

プリントを貰ってきても見せない。

いつも提出期限ギリギリで

本当にやる気あるの?って

見ていて腹が立った

当然 ケンカも増える。

 

夢を応援したい気持ちはあるけど

本人がこんなんじゃ応援できない!

なんで全部言われてからなの?

私が全部やらなきゃダメなの?

今更 学校休んで卒業する気あるの?

そんなんで本当にトリマーになれるの?

娘の夢であって私の夢じゃないし!

自分だけ好きな事して面倒は私に押し付けるのかよ

 

そんな感情ばかりが大きくなる。

 

親だって人間だからね

イライラもするよ。(ため息)

 

無事に専門学校生になった今でも

イライラする事は多い(--;)

(もしかして更年期かな...)

 

だが 遅刻もなく毎日休まずに学校へ行く娘を見て

頑張ってるんだなぁ と嬉しくもある。

私はきっとこれからも

ケンカしたりイライラしたりしながら

娘を応援していくんだろうな(苦笑)

 

 

 

普通に学校へ通ってる子の親でも

不登校児の親でも

3歳児の親でも19歳の親でも

いつの時代も

親としての悩みは尽きない。

 

それでも子供と一緒に

親としても成長していければいい

 

 

高校進学

こんにちは。おもちです。⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

娘は現在 資格を取るために

専門学校に通ってる。

中2で不登校になった時には

想像もつかなかった。(笑)

 

 

【高校進学】

いくら学校に行ってなくても

中学校では進級する。

娘も例外ではない。

 

以前にも書いたけど

2年生の時の担任の先生は本当に良くしてくれた。

その先生が 「3年生も僕が受け持ちます!」

って言ってくれた。

ありがたい。

 

周りの同級生は受験勉強の為に塾に通ったり

全国統一テストを受けたり

高校説明会に行ったり

忙しそうにしている。

 

当然 お母さん達の会話も受験一色。

私は聞こえてないフリして通り過ぎる。

 

(うちの子進学するのかなぁ...)

と ぼんやりと考えてた。

 

娘に聞いてみると

「行ける高校あるかなぁ...」

って 進学の意思はあるみたい。

そこで担任の先生に相談した。

 

生徒思いの先生は必死に資料を集めてくれた。

当然 出席日数も少く学力も遅れている娘。

 

私立の偏差値の低めの学校説明会に行ってみた。

そこは不登校だった子も受け入れるとうたっている。

学校説明を聞いてみると

「我が校は規律を守り 学校に行ってなかった子も1からやり直し しっかりお子さん達を立ち直らせます!」

ん?何か違うぞ。

不登校は甘え?落ちこぼれ?ダメな事なの?

確かに他人から見たら そう見えるかも知れないけど

教育に携わる人がこんな考えなんて...

この学校は娘には合わない!

 

(行けても定時制か通信だなぁ)

と 思い 定時制高校の説明会に参加。

帰りに

「どう?」

と聞くと

「う〜ん...」

あまりピンとこないみたい。

 

そんな中 担任の先生がある高校を勧めてくれた。

「確かに定時制も良いかも知れませんが

将来 進学や就職を視野に入れた場合

絶対 昼間通える方が良いと思うんです。」

と力説された。

 

定時制高校の場合

昼間アルバイトなどして夜 学校に通う。

バイトが無ければ 昼間寝て夜学校という

昼夜逆転の生活になってしまうだろう。

そうなると 生活リズムも崩れ

いざ進学 就職しても中々リズムは戻らないかもしれない。

 

先生が勧めてくれた学校は 私立の通信制高校

週2日 週3日 週5日 と通う日数と受ける授業を

自分で選べる。

しかも1日 2時間〜5時間の授業。

(これなら行けるかも知れない!)

私立という事で金銭的な不安もあったけど

とりあえず話を聞きに行くことにする。

 

私はついていけなかったので

旦那さんが娘と一緒に行った。

どうやら娘に合う学校らしく先生も良い人らしい。

娘も この学校受けてみたいと言う

娘がやる気になった!

 

そこからはなるべく休まないように

短時間でもいいので登校して出席日数を稼いだ。

勿論  その日によって気分の浮き沈みは激しい。

勉強も手の空いている先生に教えて貰いながら

面接の練習も頑張った。

 

しっかりテストを受けて面接で受け答え出来れば

殆どの子が受かる学校だけど

頑張ってる娘を見て何かが変わるかもしれない!

と 嬉しかった。

 

受験当日は私の方が緊張してたかもしれない。

意外と冷静に準備をしている娘。

私「落ち着いて!行ってこい!」

娘「いってくる!」

待ってる時間が長い...

 

帰ってきた娘は緊張がとけたのか

「テスト全部書けなかった〜」

「面接隣の子はこうでね 私はこうでね」

と機関銃のように喋りまくってた(笑)

私は「よく頑張ったね!えらい!」

と娘を誉めた。

 

無事に高校合格!!🎊

 

【高校生活】

高校は最寄りの駅から電車で通うことになる。

1人で外出するのが苦手

大勢のひとのいる場所が苦手な娘の為に

家族で電車通学の練習をした。

切符の買い方から乗換の仕方

駅から学校までの道を歩いて教える。

 

毎回ついていける訳でもないから

初めから1人で行く事を前提にしてた。

登校初日は駅から学校まで

ずっとLINEしながらだった。

娘「人がいっぱいいる!」

私「駅だから人はいっぱいいるよ」

娘「やばい!電車が動き出した!」

私「電車が動かないとみんな遅刻するからね」

娘「どうしよう!学校までの道がわからん!」

私「大丈夫!お前には

       見える目も

       聞こえる耳も

       話せる口もある!

       周りの人に聞いてごらん!」

私「お前はやればできる子!頑張れ!」

 

こんなやり取りをしながら

何とか学校に行ったと思う。

 

とにかく 無事に高校生になり

学校に通い始めると

友達が出来た!

娘と同じ 不登校経験者だ。

娘が言うには

「この学校 元不登校児かパリピなヤンキーしかいない」

だそうだ。

そんな中でも気の合う友達と一緒に授業を受けたり

休みの日に泊まりに行ったり

高校2年生くらいになると

大好きな韓流グループのコンサートなどに

東京や大阪まで行っちゃう行動派になった。

 

時々ケンカして家でも文句言ってたけど

「ケンカもするけど ちゃんと仲直り出来るから」

って。お互いに信頼してるんだなぁって安心した。

 

週3回の4時間授業で

休みながらも何とか通いきった!

 

 

 

 

親としては不安も沢山あったし

学校の事でケンカする事もあった。

でも いつも思うのは

親なんて 付かず離れず見守るしかない

結局コレなんですよね(--;)

 

自分の子育てが 合ってるかどうかなんて

わからないし

周りから見たら どんな家庭?

あの人 母親としてどうなの?

って言われることの方が多いと思う。

でも そんな事は どうでもいい

 

今日も全開のブサイク面で

口いっぱいにご飯を詰め込んで

満面の笑みを向けてくる

ただ それだけでいい。

 

リストカット

こんにちは。おもちです。⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

不登校児の親やってました!

 

娘の手首には大小の目立つ傷跡がある。

普段はサポーター等をして隠している。

娘 曰く

「もう大丈夫なんだけど 見た人が驚くと思って隠してる」

らしい。

 

今回のお話は...正直 書こうか迷った。

娘も私も辛かった時期でもあるし

読んでくれている方が引くかもしれない。

私に対して反感を持つ方もいるかもしれない。

不快に思う方はスルーして欲しい。

 

【ネット依存症】

始まりはどこにでもある出来事だったと思う。

 

今の時代 小さいうちからネット環境があり

色んな情報が溢れかえっている。

 

おもち家でも 親の古くなった携帯を

当時中学になった娘と息子に

おもちゃ感覚で与えていた。

勿論 家のWi-Fi環境の中でしか使えない。

 

「友達とLINEしたい。」

「友達からゲーム勧められた。」

「みんな持ってるから。」

良く聞く言葉じゃない?

私も軽い気持ちでお金かからないしまぁいいいか!って。

 

ご飯中は触らない。

宿題を先に終わらせる。

お手伝いもちゃんとする。

時間を決めて使う。

 

上記の約束事をさせて子供達に与えた。

 

息子は主にゲームと友達とのやり取りに使ってた。

娘は...どこで覚えたのか...

Twitter ツイキャス 掲示板 グループLINE

不特定多数の人が集まるSNS

という物に どっぷりハマってしまった。

 

親の目を盗んで 自室に携帯を持ち込み

朝までSNS...

翌朝 起きれなくて学校を休む。

本当に悪循環だった。

 

その頃の娘は学校にも行けず

常に携帯を触り

笑顔も会話も無かった。

 

SNSの中の友達だけが自分を分かってくれる

そう思ってたと思う。

 

良く学校で子供と携帯についてのお話があると思う。

私も聞いてたつもりだったのに

あまり深く考えて無かった。

(↑親として どうよ...)

 

今思うと子供って学校生活やリアルな友達関係から

人との付き合い方や 世の中を見る目を養っていくのだと思う。

中学生ってまだ思春期真っ只中!

人を見る目なんて発展途上!

そんな中で 顔も見えない人達の事なんて

良い人か悪い人か 分かるわけない。

大人でも難しい。

(SNSの人達を否定している訳では無い)

 

実際 私もゲームやSNSで沢山の友達がいた。

私の方こそネット依存だったのかもしれない。

(↑正にクズ)

 

そんな親を見ているから 私もやってみたいって

思っちゃったんだろうな...(๑  ᷄ω ᷅ )

 

良くも悪くも影響受けやすい娘。

ネット環境を与えるのが早すぎた...

 

【増える傷跡】

本題のリストカットについて

ふぅぅぅ、、、、(深呼吸)

 

初めは猫に引っかかれたのかなって思ってた。

でも やたらと絆創膏が貼ってある。

治りかけたと思ったら また増える絆創膏。

 

嫌な予感はしてたんだよ...

最低なんだけど...

見て見ぬふりしてた。

(↑はい!クズ認定!)

 

そりゃ親だから気づきますよ。

学校も行かず 部屋からも出ず

いつも携帯握りしめて

笑顔も会話も消えていく。

朝方近くまで部屋の電気はついたまま。

 

もうね 病んでる!

 

そこに来て まさかのリストカット

どうしていいか わからないじゃない!

 

ある時 ガーゼない?って聞かれた。

切りすぎたらしい。

私「自分でやったの?」

娘「うん。」

私「バカだね。」

こんな事しか言えなかった。

 

やめろともどうして?とも言えなかった。

娘が辛そうなのは分かってたから。

ただ 悲しかった。

 

そしてまた 私も悩んだ。

当たり前だよね...

この件については初め誰にも言えなかった。

旦那さんにも...

「娘ちゃん命」 の旦那さんが知ったら

慌てふためくのは目に見えてる。

 

時々 娘の留守を見計らって部屋に入ってみる。

無造作に置かれた沢山のカミソリ...

傍らには 血のついたティッシュ...

無言で拾い集めて 片っ端から捨てる。

 

数日経つと また部屋にカミソリ...

見つける度に 拾って捨てる。

 

何とかしないと...

不安と焦りと恐怖が

私の中でぐるぐるぐるぐる。

 

【私の決断】

ある時 私 ついにキレちゃった。

 

原因は忘れちゃったけど

娘に対して怒鳴り散らした...

旦那さんの目の前で...

 

「そうやってまた手首切って ネットに上げるのか!!」

 

「ネット上でどうしたの?大丈夫?って構って貰いたいのか?!」

 

「手首切ったからってネットの友達が何かしてくれるのか?!」

 

娘はギャン泣き...

旦那さんは目が点に...

私は 大声出しすぎてむせるほど。

 

本当に最低だった。

力任せに自分の中の不安や不満をぶちまけた。

 

そして 泣きながら...

「私はお前が大事なんや!」

「生きて笑っててくれたら それでいいんや!」

「頼むから 自分を傷つけるなよ!」

と叫んでた...

 

私もいっぱいいっぱいだったんだよなぁ...

 

その前だったか 後だったか記憶が曖昧だけど

娘がやらかした。

ネットの友達と実際にあったらしい。

しかも 20代後半 無職の男性。

普通から見て中学生に遠方から会いにくる?

それを知ってゾッとした。

何事も無く帰ってきた娘を見てホッとしたが

またしてもバトル開始!

 

もう これ以上は危険すぎる。

私は携帯を取り上げることにした。

 

娘に甘々な旦那さんは反対した。

「時間を決めれば?」

「使う時だけ渡してこっちで管理すれば?」

娘の味方をしたつもりだろう。

 

(゜д゜)ハァ??

甘々過ぎる!

何も知らない旦那さんに詳細を説明。

驚愕してた。

 

娘は激しく抵抗したが 無理やり携帯を取り上げて

ネットから引き離した。

 

こんな日常の中 旦那さんに

「仕事を辞めて家に居てくれ」

と言われた...

 

当時 不登校で発作的に手首を切ってしまう娘を

1人にはしておけず

上司に相談して職場に連れて行ってた。

正直 仕事は辞めたくなかった...

でも 娘を1人にはしておけない。

娘がいると思うように仕事が進まない。

カウンセラーの先生とも相談した。

 

そして 私が出した結論...

会社で私の代わりはいくらでもいる。

娘の代わりも母親の代わりも居ない。

親として 今 私が娘を守らなければ!

私は娘の為に会社をやめた。

 

初めは部屋に閉じこもっていたけど

徐々に現実に目を向け始めたように思う。

 

それでも発作的に

手首を切ってしまう事はあったけど...

リストカットは高校生になっても続いてた。

 

あの日 無理やりにでも

ネットから娘を引き離した事

仕事よりも娘を優先した事

間違ってはいなかったと思う。

 

 

【現在の娘】

今年19才になる娘ちゃん。

元気に専門学校に通ってる。

将来の夢が見つかったんだ。✨

 

当時とは比べ物にならないくらい

満面の笑みでブサイク面を向けてくる(笑)

 

中学を卒業するタイミングで携帯を買い与えたが

今では それなりの付き合い方をしている。

多少...かなり?...依存気味ではあるけど

しっかりとリアルも見つめて

ネットとリアルの境界線も

自分で把握出来ていると思う。

 

今の所 手首に傷は増えてないはず(笑)

 

時々 不登校リストカットの話もする。

ネットで見かけた画像に

手首にムスカ(ラピュタの登場人物)の絵を書いて

「もう...無理...ムスカしよ...」

ってのがあった。リスカムスカをかけてある...

 

それを見せて

私「お前も切りたくなったらムスカ書けば?」

(↑まじで最低な母親‪𐤔𐤔‬)

娘「おぉぉ!それいいね!ムスカ練習しよ‪𐤔𐤔‬」

なんて会話しながら爆笑してる(笑)

 

引きこもりのテレビ番組を見て

私「子供が引きこもり?

親も一緒に引きこもってやれ‪よ𐤔𐤔‬」

(↑またしても最低発言...)

娘「それな‪𐤔𐤔‬うちなんて娘の為とか言いながら

結果ニートが2人に増えただけ‪𐤔𐤔‬」

(↑私に毒されて娘も最低...)

 

アホな親子だと思うでしょ?

そうなんです!アホなんです!(笑)

 

でも これでいいんだ!

生きて笑っててくれるだけで充分!

 

娘が当時を振り返って言ってた。

「好きな物を見つけるのが1番!」

「良い先生や友達に巡り会ったのもデカいな」

って。

本当にその通り!

中学で親身になってくれた

担任の先生やカウンセラーの先生。

高校で出会った気の合う友達。

アホみたいに追っかけてる韓流アイドル!

 

今の娘があるのは 全部このお陰!

 

 

一見 立ち直ったかのように見える娘も

まだまだ不安定(--;)

バカみたいにハイテンションな時もあれば

見るからに病んでる時もある...

お店に入っても自分の口で注文が言えなかったり

家の中でワガママいっぱいだったり

私を奴隷のようにこき使ったり💢

 

でも傷ついた分 強く優しくなれたと思うよ

 

部屋に閉じこもってた時期は

充電期間だったんだ。

やり場のないエネルギーを沢山溜めてたんだね。

今やっと 満タンになったエネルギーを

解放してるんだよ。

 

 

今現在 不登校に悩んでいる親さん。

みっともなくても良い!

情けなくても良い!

親の威厳?なに?それ?

本音でぶつかってみてください。

きっと何かは伝わるはずだから。